本当に良いものの価値は伝わりにくい

今あるものよりもちょっとだけ良いものの価値というのは認められやすい。しかし、本当に良いもの、今のスタンダードから飛躍するような良いものの価値は、なかなか認められない。このようなことは、様々なシーンでみられるとおもいます。

なぜか。本当に良いものというのは、既存の評価基準では測れないからではないでしょうか。例えば、パソコンの使い方を知らない人に「便利だよ。なんでもできるよ」といってパソコンを買い与えても、しばらくはその価値がわからないでしょう(パソコンが浸透しきった現代では、この仮定はちょっと無理があるかもしれませんが)。その人が手作業で帳簿をつけていたとして、「ペンと紙と電卓でやるもの」という枠組みで考えている限り、「便利な電卓」「たくさん書いても疲れないペン」は有り難がるかもしれませんが、「パソコンで全部簡単に効率よくできるよ」といわれても有り難がらないでしょう。

本当に良いものというのは、その価値を生かすためにしばしば根本的な発想の転換を要求します。帳簿をつけるのは「ペンと紙と電卓でやるもの」ではなく、「パソコンでやるもの」であると認識しなければなりません。

そして、本当に良いものの価値を体得し、活用できるに至るまでには、一定の訓練が要求されます。パソコンの使い方や、ソフトウェアの使い方がわからなければ、「パソコンで帳簿をつける」ことの価値を理解できても、それを実行に移すことはできません。

つまり、本当に良いものが何かあったときには

  • その価値を理解するために、根本的に考え方を変える
  • その価値を活用するために、訓練する

というステップを踏む必要があります。なかなか容易いことではありません。しかし、これらのステップを乗り越えなければ、本当に良いものによって利益がもたらされる状況は訪れないのです。

他人に「これいいよ」と何かを勧められたとき、そのメリットがすぐに理解できないものの場合、「いいや」といって拒絶してしまう場合は、誰にでもあるのではないかと思います。ひとりひとりが使える時間は有限なので、全てを試すことはできません。賢明な判断といえるでしょう。

しかし拒絶したものの中には、上に述べたような「本当に良いもの」が含まれている可能性を考えてみてください。「すぐにメリットを理解できるもの = 小さな改善」「本当に良いもの = 大きな改善」とすると、メリットがわかりにくいあらゆるものを切り捨ててしまうことは、大きな改善のチャンスを失い、小さな改善を保守的に積み重ねてゆくことと言えるのではないでしょうか。

小さな改善を保守的に積み上げてゆくことが悪いというのではありません。それはそれで、とても意義のある選択です。しかし、現状からの大きなジャンプが欲しいときには、「メリットが理解できないもの」を理解しようとする努力が必要になるのです。今の自分の評価軸では「ここがXXに比べてよくない」「その新しいYYではZZができないじゃないか」としか思えないものに、時間を「賭け」なければ、本当に良いものというのは理解し、体得することはできません。

つまり、何が言いたいかというと

  • 手に触れることができないから
  • 所詮はゲームだから

などと理由づけをしてラブプラスをやっていないあなたたちは、大変なチャンスを逃そうとしているのです。

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